日本宣教会は、1823年に設立され100年以上の伝統を持つ、メソジスト、ホーリネス系のキリスト教プロテスタントのグループです。聖書信仰と明確な信仰体験を大切にしています。どちらの教会にもお気軽にお出かけください。心から歓迎いたします。
東洋宣教会の教役者であった相田喜介は、来日したアズベリー大学総長モリソン博士の説教に感動し、聖潔(きよめ)の教理についての更なる学びを志し、1920年(大正9年)米国ケンタッキー州ウイルモアのアズベリー大学神学部に留学しました。
渡米後の相田喜介は、学びと共に当時の有力なアメリカ人伝道者たちと米国各地を巡回する中で、日本宣教の新しいビジョンを与えられ、1923年4月24日、アズベリー大学内において日本宣教会を創立しました。その後、この働きの後援者を得つつ、米国各地を巡回していましたが、同年9月に日本では関東大震災が起きました。首都東京の壊滅的な惨状を聞いた相田は、日本での救霊の急務を強く感じました。
そこで、同年12月末に帰国し、渋谷区笹塚に伝道所を開設しました。のち、渋谷駅近く、北谷、川崎、田畑、桜ヶ丘に教会を、東京都内や宇都宮、仙台に伝道所を設けました。
1929年(昭和4年)伝道者養成のため救霊学院を設立しました。しかし、破竹の勢いで教団が成長しているさなか、1934年に分裂が起き、桜ヶ丘を除くすべてが教会を日本宣教会を離脱しました。
桜ヶ丘教会は、1937年世田谷区北沢町、1938年代田へと移転、日本が戦争に向かって行く中、疎開し1940年4月八王子女学院を開校しました。1945年終戦となり、同女学院は廃校になりました。1957年には代田教会を再開し、1960年八王子を引き払い、代田に会堂を新築して以後本部を代田に置いています。戦後、再び、幡ヶ谷、久我山、調布、新潟県小千谷、前橋、町田、木更津、狭山、喜多見と新しい教会が建てられていきました。
1978年中原幸茂が二代目監督となりました。その後、1994年に久我山が独立したため、相田望が3代目の監督に就任しました。2008年には小坂禮輔が4代目の監督に就任しました。2011年には前橋が狭山に吸収合併されました。
2012年からは小坂嘉嗣が5代目の監督に就任して現在に至っています。2013年12月に相模キリスト教会が閉鎖されましたが、2024年4月に喜多見チャペルの開拓が始まりました。日本宣教会には現在、6つの教会(代田教会、西調布キリスト教会、小千谷キリスト宣教会、きさらづキリスト教会、狭山キリスト教会、喜多見チャペル)と1つの集会所が所属しています。